月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第4回

わたしのお父さん


 六月の第三日曜日、「父の日」にちなんで、二時間のスペシャルドラマ『パパの涙で子は育つ』を書いた。これは、フジテレビなどでドキュメンタリー作品を手掛けているフリーのディレクター、込山正徳さんご自身のシングルファーザー子育て奮闘記のエッセイが原案。それをもとに私が脚本化したものである。
 幼い二人の息子さんを抱えた込山さんの、逞しくも明るい暮らしぶりが、とにかく素晴らしく!、それに触発され、一気に書き上げた楽しい仕事だった。


 「父の日」といえば、思い出すのは作文。私の子ども時代には、父の日には必ず父親参観があり、教室の後ろに並んだお父さんたちの前で、順番にお父さんへの作文を読んだものである。そんな父の日の四〇年前の作文が、なんと先日、自室を片付けていたら出てきた! なぜか押入れの奥に、小学校二年の時に書いた『わたしのお父さん』が、残っていたのである。八歳の自分がいったいどんなことを書いていたのか、興味津々で読んでみて驚いた。
 その作文は、こんなふうに始まる。「お父さんは、ゆかにおいたわたしの大じなお人形を、自分がふんだのに『お前がこんなところにおいておくのがわるい!』と、おこりました。それはお父さんがわるいと思います。お父さんは、夜おそくかえって来て、わたしがねているとおこします。お父さんは、べん強を教える時、すぐおこってわたしの頭をたたきます。それはやめてもらいたいと思います。お父さんは――(以下、延々と父への文句続く)」。そして作文は、なんのフォローもなくブツリと終わっていた。普通ならば、「でもわたしは、そんなお父さんが大好きです!」とか「お父さん、長生きしてください」くらいの言葉があってよさそうなものだが、一切なし! ただただ不満で終わる。これには笑った。なんという娘だろう。

 父はごく普通のサラリーマン。確かに少々短気ではあったが、基本的には子煩悩で、私たち姉弟を可愛がって育ててくれたと思う。父親参観にも、はりきって出かけて行ったに違いない。なのにこの作文である。皆の前でこんなモノを披露され、さぞガックリきたことであろう。
 かすかな記憶をたどれば、確かにこの作文を、教室で読んだ覚えがある。そして、そのあと家に戻り、母に「お父さん、落ち込んでるわよ」と言われた覚えも。


 だがそこで、八歳の私は、憤然と思うのである。日ごろ思っていることを書きなさいと先生に言われて、そのとおり書いたのに、何が悪いのだろうと。
 思い返せば、子どものころ、私は父に怒られると、しょげたり反省するどころか、なぜこんなことで怒鳴られるのだろうと、ベソかきながらも決して謝らなかったっけ。
きっとこれだから、年中、父も頭にきていたに違いない。今年の父の日は、優しい言葉のひとつもかけてあげようかしら。セピア色になった原稿用紙を見つめながら、そんなことを思ったのだった。

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