ことばのココロ 第3回
メール人格
母は、コロコロと丸い人だった。陽気でよくしゃべり、私が締め切りに追われていようとお構いなしに電話してきて、「ねえねえ、ちょっと聞いて! ××さんが、××しちゃってもう大変! それでね(云々)」。話しだしたら止まらない。「今仕事中なんだけど」と冷たく言い放っても、「アラごめんね。それでねー」と、反省のかけらもない。そんな人だった。
「もしもあなたがエッセイを書くようなことがあっても、私のことは生きている間は書いちゃダメよ。死んだら許すうッ!」と言っていたので、もういいだろう。母が亡くなり七年になる。
その母が、手紙になると人格が変わった。線の細い達筆で、鳩居堂の便箋か何かにサラサラと『紀子さんのご健康を心よりお祈り申し上げます。ご夫婦仲良くお暮らしくださいませ』なんて、書いてくる。私が「うちには、どうやらお母さんが二人いるらしいね。どう見てもこの手紙は、華奢(きゃしゃ)で楚々とした美人の母からの手紙だよ」と悪態をついても、「ホントねー! 〝字は体を表さない〟のよ。フフッ」と、訳のわからないことを言い、笑っていた。こういう明るい人が傍(そば)にいないのは、ちょっと寂しい。
それはさておき。近ごろ同じような感覚に襲われることがある。姪たちである。子どものころは、無邪気にはしゃいでいた姪っ子たちも、中学高校と進み、難しいお年ごろ。
たまに会っても「あ。どうも」とか「お元気ですか」(敬語かい!)と、素っ気ない。オバとしてはそれが悲しかったりするのだが、若者に媚びるのも教育上よろしくないと思い、距離感を保ちながら接している(つもりである)
ところが、その彼女たちから、最近よくメールが来る。『オバちゃん♡お元気ですかァ?♡♡ ××(名前)ヮ、元気ですゥ。今度のドラマと~っても楽しみに見ていますゥ。♡☆♪◎♡☆!』と、いきなり今どきのカワイイ女子高生に豹変するのである。なのに、会うと、「あ。どうも」「テレビ見てる?」「ウン」。そのあと会話なし――。
これはいったいどういうことなのか。と、狐につままれたような気持ちになっていたのだが、要は、母たち世代の逆なのだと気付いた。周囲の年配男性からは、メールになると構えてしまって、気軽に書けないというボヤきもよく聞く。
そんな中でひとり、人格と文体が〝完全一致〟の方がいる。『Dr.コトー診療所』シリーズでも渋い演技を見せてくれた泉谷しげるさんだ。
『ヨシダぁコラアアア~元気かヨイ。こっちワ暑くてバテバテだわナぁ。テメエ長ィセリフ書くんじゃネエゾ! 覚えンのガ大変なんだからヨォ』と、まあ、こんなふうなのである。
泉谷さんの面白く温かいメールに、執筆中、何度励まされたことか。さすが、ミュージシャンにして俳優、マルチプレイヤーは、書き言葉もひと味違う。「泉谷さんステキですう♡!」。これじゃ、私も姪っ子とおんなじ!?