月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第6回

ナニワの人情タクシー



 さて、今月も先月にひき続き、大阪シナハン(※)の話。今回は、主役となる人物の育った場所のイメージをふくらませるため、プロデューサー氏二人とともに兵庫県尼崎市へ足を伸ばした。「知らない街を取材する時は、まずタクシーに乗れ」というのが、ドラマ制作チームの鉄則らしい。タクシーの運転手さんは、やはり街をよく知っているからだ。

 私たちは、駅前でタクシーを拾い、尼崎の町工場や下町の風景を求め、走ってもらいながら質問してみる。「この辺りは昔からこんな感じなの?」とか「この辺の一軒家だと、どのくらいの値段で買えるの?」「自営の町工場の人は、どんな暮らしをしてるの?」など。すると、さすがは関西人、まるで落語家のような流暢な語りぶりで、街のことを面白おかしく教えてくれる。そういえば、バックミラーに映ったその顔もどことなく、桂ざこば師匠に似ているような。

 尼崎の街をひととおり見終え、今度は近くの繁華街「十三(じゅうそう)」へ行ってみようということになり、そのままタクシーを飛ばしてもらった。「大阪出張に行ったら、十三には気を付けろ」という言葉があるくらい、そこは危険な盛り場らしい。
「新宿の歌舞伎町とまではいきまへんけど、この辺は危ない店も多くてね。ぼったくられた七〇過ぎのオジイサン乗せたこともありましたわ。『とにかく家まで連れてってくれ。けど金は一銭もない、スッカラカンや。高い授業料やったわー』言うから聞いたら、三〇万も請求されてしまったんやて。
 言葉巧みな客引きについていったら、出てくる女性が、最初は四〇代、席を立とうかなーと思うと、次にちょっと若い三〇代が出てきて、もう帰ろうかなーと思うと、今度は二〇代の女の子が水着姿で! その姿にデレデレして女のコの尻なんぞに手ぇ伸ばしているうちに、財布! やられてしまったらしいですわ。ハハハ」。運転手さんの見事な話しぶりに私たちは大笑い。

 そのうち運転手さんが「お客さんたち、東京の人やろ」と言い出し、高円寺に住んでいたという娘さんの話を始めた。娘さんは一橋大学を出て、一流の企業に勤めていたらしい。「それは自慢のお嬢さんですね」とプロデューサー氏。すると、運転手さんは、急にしんみりした口調で「けど、親より先に死んでしまったら、自慢にもなりませんわ」とポツリ。聞けば、娘さんは、二〇代の若さで急性膵炎にかかり、救急車で病院へ運ばれるも、たった一晩で亡くなってしまったという。
愉快な関西のオッちゃんだとばかり思っていた運転手さんの心に、そんな悲しみが潜んでいたとは。

 「どんなところにも、ドラマはあるんですね」。夕暮れのネオンきらめく繁華街でタクシーを降り立ったプロデューサー氏が、ポツンとつぶやいた。人の数ほど悲しみはあり、それぞれがドラマをもっている。そんな人々の心を、私たちは表現しなければならないのだろう。


(*注記)
※シナハン:シナリオハンティングの略。脚本準備のためにドラマの舞台となる場所へ取材に行くこと。

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