月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第36回

彷徨《さまよ》える魂の画家


 ヨーロッパを旅行するたび、思っていたことがある。古い街並みに立つ石造りのアパート、あの中はどんなふうになっているのだろう。街の普通の人たちの住む家に、一度入ってみたかった。その夢がかなった。昨年末、夫婦そろっての久々の休暇でパリへ行き、東京で同じマンションに住む画家Tさんのアトリエを訪ねたのだ。

 Tさんは、NHKのプロデューサーとして長年映像に携わり、関連会社の社長まで務めた方である。が、退職後、かねてからの夢だった画家を目指し、単身パリへ留学。Tさんには、妻子はもとよりお孫さん(!)までいる。そんなTさんが、還暦を過ぎパリの美術学校で学び、卒業後も年に数カ月はパリへ行き、絵を描くという生活を、十年も続けているのだ。近年は個展も開き、絵も売れている様子。Tさんは、繊細でとてもお洒落なすてきな絵を描かれる。
若き日の夢を退職後に実現する―。言葉にするのは簡単だが、実行に移した人を見たのは初めてだ。すごい! Tさんもすごいが、毎年海外へ夫を送り出す奥様も太っ腹である。

 私たちは、ご近所のよしみで、Tさんの部屋を訪ねた。パリ一五区、メトロ駅に程近い大通り沿いに、築百年のその建物はあった。狭い入口を入ると小さな中庭があり、そこを抜けエレベーターに乗った。四人も乗ればいっぱいになってしまう小さな箱は、ギシギシと音をたてTさんの住む階に止まった。部屋は、想像以上に簡素だった。板張りのキッチンとベッドルームの1DK。中庭に面した小さな窓。窓の下には、昔ながらのスチーム暖房が付いている。時折、アパートの住人の声が聞こえてくる、まさに古い映画に出て来るような部屋だった。

 Tさんは、街に出てスケッチを重ねては、この部屋で日々黙々と油絵を描いているという。部屋の隅に、描きかけの自画像があった。自画像を描くには、バスルームの鏡を利用しなければならない。二畳ほどのトイレに何時間もこもり、朝から描きはじめ、気が付くと日が暮れていることもあるという。「まるで修行僧ですね」と私が言うと、Tさんは、ハハハとちょっとうれしそうに笑った。
私たちのパリ滞在中、Tさんは仕事を放棄(!?)し、美術館や街を案内してくれた。ピカソ、ゴッホ、マネ、セザンヌ、ルノワール、ドガ……。数え切れないほどの名画を見、冬の寒いパリの街を歩きながら、Tさんはたくさんのことを語ってくれた。「こうやって、誰も知り合いのいない異国で独り、移民たちの中に紛れていると、自分は何者なのか、どこから来て、どこへ行くのか、ということを考える。
これまでの日本での肩書きや地位などはまったく関係ない自分がそこにはいて、自分の魂だけが、時の流れの中を彷徨っているような気がする」と。
アーティストとしてのTさんの生き方に深い感銘を受け、同時に、自分の平凡さを思い知った旅であった。

 帰国後、Tさんへのお礼メールに「〝彷徨える魂の画家〟Tさんへ」と書いたら、すぐに返事が来た。「彷徨える魂の画家。いいですね。僕の話を聞いてくれた結果と、うれしく思います。が、〝彷徨える魂〟の画家なのか。〝魂の画家〟が彷徨っているのか。これからじっくり考えようと思います」と。修行僧にうかつなことは言えない。

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