月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第28回

 父と息子①

中途半端なオス!?

 先日、江戸川河川敷で行われた日本警察犬協会主催の「日本チャンピオン決定審査会」を見学に行った。わが家のラブラドールBONBON(♂・一歳)の父犬ベンが大会に出場するため香川からやって来たからだ。
BONBONは、香川県の嘱託警察犬訓練所「丸亀警察犬訓練所」で生まれた。
 母犬は、きな子といい、警察犬の試験を五回も落ち有名になった犬である。ハードル越えで頭からズッコケた映像がニュースで流れ、ダメダメ犬として話題をさらった。私は取材で丸亀の訓練所へ行き、きな子に出会った。きな子は、初対面でいきなりゴロンとおなかを見せ、気がつくと横座りしていた私の足の裏に頭を乗せ、スヤスヤと眠っていた。そのあまりの無防備さに、惚れた。   


 その時の私が、よっぽど物欲しげだったのか、昨年五月、きな子に仔犬が生まれると、「英国産のええ(・・)オス犬とかけたけんね! 吉田さんに一匹あげるわ~」と所長が電話してきた。「ええっ。いいんですか!」と私。「ええ、ええ。メスは子ども産まなあかんけど〝中途半端なオス〟はいらんけん!」。いい犬を残すために、メスは最高峰のオス犬としか交配させないのだそうだ。つまり、最高峰以外のオスはすべて用なしというわけ。
 所長は苦労人である。子どものころにご両親を亡くし、中学卒業後、犬の訓練士を目指し、一代で訓練所を築き上げた人だ。人情に厚く、明るく、親切。しかし、その風貌は、髪はパンチパーマ、訓練で日焼けした顔にジャージ姿、背は高くちょっと猫背。煙草をくわえ、サングラスをかけた日には、まるで警察犬を連れたヤ○ザである。ラブラドールのことをしゃべらせたら、一時間二時間はあっという間のパワフルさだ。


 この日は、久々に所長に会えるのを楽しみにしていた。BONBONを連れ会場に着き、所長に電話すると、携帯からしょんぼりした声が。「ゴメン……。わし、行ってないんよ。女房と息子らがいるから会ってやって」「どうしたんですか! 具合でも悪いの?」「ウン……ちょっとな」などと話していると、向こうから奥さんがやって来た。聞けば、所長は一カ月前に脳出血で倒れ、一時はICUに入るほどの重症だったという。しかし、奇跡的に回復し、今は自宅に戻り療養しているとのこと。
 「日本チャンピオン」は、年に一度の大きな大会である。全国から優秀な犬が集まりスタンダード(体型と資質)を競い合う。大会に照準を合わせ訓練士と犬は、走り込み、体を作り上げる。所長も本番前でかなり疲れていたのだろう。「今回も、来る来るってきかなかったんやけど、泣く泣く留守番」。そう言った奥さんは、看病疲れか少しやつれて見えた。


 大会は、粛々と進んでいった。芝のリンクに犬を連れ、訓練士が審査員の前をゆったりと歩いていく。所長に代わりベンのハンドラーを務めたのは、所長の息子さんだった。彼は二〇代前半、父と同じ訓練士を目指し修行中の身である。去年会った時は無邪気な兄《あん》ちゃんという感じだったのに、この日は堂々と逞しく変貌していた。


 「BONBON! ホラ、アンタのお父さんよ!」。思わず私がBONBONに語りかけると、わが家の〝中途半端なオス〟は、退屈したのか、デレーっと芝生に座り込み、足でボリボリと背中をかいていた。  (続く)







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