月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第27回

座らない演出家

 その日、私は少々緊張しながら、待ち合わせの店のドアを開けた。初めて仕事をご一緒するNHKの演出家、岡崎栄さんと会う約束だった。岡崎さんといえば、放送界の重鎮。テレビ創成期からドラマに携わり、『大地の子』をはじめとする名作の数々を生み出した方である。

 岡崎(・・)さん(・・)は、ひとり窓際の席に座り怖そうな顔で本を読んでいた。恐る恐る声をかけようとした時、「ヨシダさ~ん。こっちこっち!」と背後からプロデューサー小松昌代嬢の声がした。小松さんとは彼女がまだアシスタントだったころからの知り合いだ。その小松さんの隣で、やさしそうな顔で笑っている男性がいた。窓際の怖いおじさんではなく、その人こそ岡崎さんであった。岡崎さんは、御年七八歳。が、どう見ても六十代にしか思えない若々しさだった。

 仕事は、ノンフィクションライター城戸久枝氏の『あの戦争から遠く離れて』のドラマ化。中国残留孤児だった城戸さんの父、城戸幹《かん》さんの激動の半生を綴った力作だ。日中の歴史も戦争も私にとっては大きすぎるテーマだった。しかも他《ほか》の仕事との兼ね合いで、執筆に費やせる時間が余りにも少なかった。それでも思い切って引き受けたのは、原作の面白さに加え、岡崎さんの存在があったからだ。
 ドラマ化に際し決まっていたのは、鈴木杏さん演じる主人公、久枝が〝娘の視点から父の人生を辿る物語にする〟。それだけだった。私は頭を抱えた。四五〇ページもの大作をどうやってまとめたらいいのか。「そこが脚本家の腕の見せどころでね。吉田さんは大変だと思うけど、よろしくね」。岡崎さんは、淡々と恐ろしいことをおっしゃった。

 七月。私は幹さんが育った村をこの目で見たくて、ロケハンに同行し旧満州の牡丹江へ飛んだ。真夏の中国で、岡崎さんは誰よりもタフだった。あの橋が撮りたい!と思ったら、炎天下の平原を黙々とどこまでも歩き続ける。最高齢の岡崎さんが休まないのに、私たちが弱音を吐くわけにはいかない。そうやってハードな取材は進んだ。が、旧満州の都市や農村を巡ったことは、貴重な体験となった。果てしなく続く大地の果てにひっそりと幹さんの育った村はあった。そんな所に五歳の子どもが引き取られたかと思うと胸が締めつけられた。帰国後、私はひたすら台本を書き続けた。

 十二月上旬、ようやく完成した台本を手に小松さんは言った。「もしかしたら、この台本、全部撮りきれないかもしれません」。スケジュールがギリギリで、ひとつでもトラブルがあったら撮影はパンクするというのだ。真冬の零下二〇度の中国での撮影は、何が起こるかわからない。私は、祈るような気持ちで皆を送り出した。
 たった二週間のロケ。しかし、その短期間で撮影班はみごと全シーンを撮りあげ帰還した。聞けば岡崎さんは、若手演出家の担当シーンにもすべて立ちあい、その間一度も座らず撮影を見ていたそうだ。これには中国人スタッフも尊敬の念を抱き、身を粉にして働いてくれたという。「岡崎さん、すごい」と私が言うと、小松さんはケロッとした顔で「ああ、それ一回座ると立ち上がれなくなっちゃうからだそうですよ」と笑った。
だが、その顔は充実感にみちていた。演出家の熱意は、必ず視聴者の心にも届くと信じている。

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