2005年9月より2007年8月まで、仙台市のフリーマガジン『いずみっぷる』に掲載

ドラマな日々 第11回

『台詞が立つ瞬間』  





 この秋、私の手がけた映画『涙そうそう』の公開と、連続ドラマ『Dr.コトー診療所 2006』の放送が、ほぼ同時期に始まる。先日まで沖縄本島では、『涙~』の撮影、八重山諸島の与那国島では、『コトー』の撮影が行なわれており、このところ東京と沖縄を行ったり来たりの生活。自宅にこもって執筆しては、飛行機で沖縄へ。行動半径が、広いんだか狭いんだか、よくわからない日々である。
 「涙そうそう」の最終日の撮影を、見学に行った時のこと。撮影は、沖縄本島から橋を渡って、車で1時間半位の処にある島の人里離れた浜辺で行なわれていた。おりしもその日は快晴で、目の前には、水平線まで続く蒼い海と空が、広がっていた。沖縄の海は、美しいがどこか物哀しいと感じるのは、かつて戦地だった歴史を知っているからなのか。ついそんなことを思ってしまう。撮りは、穏やかに順調に進み、ついに最後のシーンを残すのみとなった。それは、主人公の兄が亡くなり、葬儀のあと、浜辺で、長澤まさみさん扮する妹と、血のつながらないオバァが、兄を思い会話するというシーン。オバァ役を演じてくださったのは、沖縄の大女優、平良とみさん。NHKの朝ドラ「ちゅらさん」の名演で、一躍全国区に名を馳せた方である。実際にお会いした平良さんは、思ったよりずっと小柄で、いつもほほ笑みを絶やさない本当に素敵な方だった。沖縄には、ニライカナイという伝説がある。海の向こうには、現世と違うもうひとつの国があって、そこには神々や亡くなった人が住んでいるというもの。八重山の島々には、島のもっと南にもうひとつの理想の国があると信じ、そこをめざして船を出したという伝説もある。実際、島にいると、日々"海の向こう"を感ぜずにはいられない。そのことを、オバァの口から言ってもらいたくて、私は、ラストシーン近くの二人の会話を書いた。沖縄生まれでもなく本土の人間の私が、ほんの数回沖縄を訪ねただけで、沖縄の人の昔から伝わる思いを描いていいものだろうかと、内心葛藤はあったが、私なりに『涙そうそう』のテーマである命や死について考え、オバァの台詞をひねり出した。詩を書くように、頭で考えずに感覚で書きたいと思いながら、並べた言葉も、実際台本になると、本当にこれでいいのだろうかと不安がよぎる。特にオバァの台詞はそうで、人知れず何度も書き直した。(こんな見えない苦労を脚本家はしてるのです。)その台詞を、今まさに平良さんが、目の前で口にしようとしている。私は(傍目にはそうは見えなかったかもしれないが)物凄く緊張し、その瞬間に立ち合った。心配は、杞憂だった。平良とみさんという存在が、私のつたない台詞を昇華し、本物の言葉にしてくださっていた。私は、不覚にもその台詞を聞き、涙が出そうになってしまった。こんな感傷的な人間は、私だけかと思ったら、隣にいたプロデューサーが、撮影が終わった後、照れ臭そうにボソリと言った。「ありゃ泣ける。平良さんが言ったら本当に泣きそうになっちゃったよ」と。その向こうで、某マネージャー氏が「ボクも号泣ですよ~。涙なしには聞けませんね~!!」と、大声で明るく言っていたが、その言葉はちょっと信じていない……。が、平良さんの台詞が本物だったことは、紛れもない事実。素敵な瞬間に立ち合わせてくれたスタッフと、そして平良さんに感謝。

*2006年7月号掲載*


























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