月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第41回

谷は眠っていた ② さよなら、富良野塾!



 二〇一〇年四月三日、富良野塾閉塾式前夜。舞台『谷は眠っていた』(通称、谷眠《たにねむ》)が、全国各地から閉塾式に富良野へ帰ってきたOB二百人の前で、特別に上演されることになった。
 『谷眠』は、倉本聰先生が描いた富良野塾創設期の青春群像劇である。その全国ツアーの最後を、塾生OBの前で飾ろうというのだ。開演前から、客席は、すでにものすごい熱気にあふれていた。かくして、出演者、スタッフ、客席すべて塾OBと塾生という前代未聞の芝居の幕が、切って落とされた。

〝良い舞台は、観客との相乗効果でつくられる〟といわれるが、この日の舞台は、そんな言葉をはるかに超えていた。あちこちのシーンで割れんばかりの拍手が起き、おかしなシーンでは笑い、そして後半に進むに従い、すすり泣く声が響きはじめた。そして、いよいよ舞台終盤、クライマックスの丸太小屋完成のシーン。これは、役者たちが自らの肉体で三段のやぐらを組み、そのてっぺんに主人公が立ち、完成の喜びを表すというものなのだが、その主人公を演じるのは、創設期から二六年間、一度も富良野を離れることなく、塾を支え続けた建築スタッフの鬼塚氏(通称、オニさん)である。そのオニさんが、二十代の若い塾生たちのやぐらの頂点に立ち、ガッツポーズをした瞬間、こらえ切れず観客席から一人のOBが、叫んだ。「オニさん最高っ! 日本一!」次の瞬間、客席の皆が思い思いのかけ声をかけはじめた! 「オニちゃ~ん!」「オニさん!」「富良野塾最高!」「ありがとう!」「ありがとう」「さよなら、富良野塾!」そして、その声はやむことなく、最後は全員のスタンディングオベーションで舞台は幕を閉じた。

 ロビーでモニターを見ていた関係者に後で聞いたら、「劇場の中から、叫びのような唸《うな》りのような声が聞こえてきて、ビックリした」と言っていた。富良野塾は、役者と脚本家の養成の塾であるが、二年間の共同生活は修行のごとく厳しい。が、同時に塾生は、何ものにも代えがたい創作の喜びと感動も味わうことになる。しかし、卒業後は皆、自分で自分の道を切り拓かなければならない。卒塾した者の中には、富良野に残り役者を続ける者、都会に出て力を試す者、ライターとして仕事を得る者、夢半ばにほかの仕事に就く者、結婚する者、いろんな人がいる。だが、一つだけ言えることは、皆それぞれの心の中に、富良野塾での体験を心に刻み、今を生きているということだ。その思いがあふれ、最後の皆の唸りになったような気がした。もちろん私も、気が付くとあたりかまわず大声で叫んでいた。「オニさん最高! ありがとう」と。

 翌日は、皆で塾地に行き、ブナやハルニレの植樹を行った。二六年間に建てた十数棟の建物。これらの建物はそのままにし、元の谷の姿に返すと倉本先生が決められたのだ。OBやその子どもたちが走り回り、賑わう谷に佇み、私は、二五年前そこに暮らした自分を思った。あの時代があるから、確実に今がある。若き日に蒔いた夢の種は、二五年の歳月を経て、私自身の中で大きく成長した。読者の皆さんの中には、今まさに夢の種を蒔いている最中という方もいることだろう。そのかけがえのない時を、どうか大切にしてほしいと思う。

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