ことばのココロ 第26回
ご近所コミュニティー
今のマンションに住み一〇年になる。三五世帯のこじんまりとした三階建ての低層住宅で、緑も多い静かな環境が気に入り、購入を決めた。子どものいない夫婦二人の都会暮らしは、近所の人と話をする機会も少ない。最初の数年は、同じマンションに住んでいても、すれ違った時に挨拶をする程度だった。多少の付き合いが始まったのは、理事会の役員になったころから。管理会社のいい加減な対応に腹を立てた理事会メンバー(わが家も含めた四世帯)が結束し、仲良くなったのだった。とはいえ、他《ほか》の方々とはほとんどお付き合いはなかった。
去年の秋、中庭の欅《けやき》の枝の伐採のことでマンション内の意見が分かれた。小さかった欅も一〇年の時を経て大木へと成長した。それをよしとする人と、日光を遮り部屋が暗くなるという人たちとの間で、食い違いが出てきたのだ。
その時の理事会の人たちが、皆の関係を円滑にするために、「名月をめでる会」という集まりを企画してくれた。
住民全員に声をかけ、エントランスにそれぞれ料理や飲み物を持ち寄っての会だったのだが、これが思いのほか盛況だった。料理はどれも美味しく、突然家からデッキを持って来て音楽をかけはじめる方もいて、会は大賑わい。「実は、こんな会を開いてみたかった! 皆と楽しく話したかった」と、参加した人たちは口を揃え言ったのだった。
この会がきっかけで、先日あるお宅でホームパーティーが開かれた。そのお宅は団塊世代の女性の一人暮し。バリバリのキャリアウーマン風の美人女史のもとに、時々お子さん方が訪ねて来るのを見かけることがあった。私は、脚本家のさがで妄想(・・)を膨らませ、彼女はきっとすごいやり手で、多忙なゆえ離婚し現在は独身、子育てを終えマンションも購入し、今は悠々自適に人生を楽しんでいるのだろう……などと考えていた。ところが、話を聞き驚いた。彼女が四〇歳の時、突然ご主人が病気で他界、それまで専業主婦で社会経験ゼロだった彼女は、四〇にして初めて銀行に勤め子どもたちを育てたという。そして、その日手伝いに来ていた娘さんは、二十代で突如会社を辞め、青年海外協力隊としてヨルダンに行き任期を終え帰ってきたところだった。
この二人にこんなドラマがあったとは! 娘さんも、私が脚本家だと知り驚いたようだ。ヨルダンで、青年海外協力隊のメンバーの間で回し見していたDVDが『Dr.コトー診療所』だったという話になり、二人でまた驚いたのだった。
ふたを開けてみると、うちのマンションには個性的な方が多い。定年後、若いころからの夢だった画家を目指し単身パリへ一年間行き、現在個展まで開いている七十代の男性。専業主婦と私が勝手に思っていた奥さんが、実は有能な設計士だったり、知的な人だなと思っていた女性が大学教授で、でも趣味が「コミケ」通いだったり、おとなしそうな奥さんが韓流スターのおっかけで、年中ご主人を置いて韓国へ行っていたり。それぞれ脚本家の妄想など遥かに超えた人生を送っていた。同じ建物に住んでいても、話してみないと人はわからないものだ。
そして皆、すごい酒豪で、お酒がなくなると各自自分の家に取りに行き、パーティーは果てることなく深夜まで続いたのだった。一番驚いたのはそのことだったかも!?