月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第17回

テーブル騒動その一 「入りませんね」



 昨年夏、近所に一人暮らしをしていた父が他界し、マンションを引き払うことになった。去年の暮れに連ドラを書き終え、ようやく時間ができた私は、コツコツと父の荷物を整理しはじめた。亡くなった人の荷物を片付けるのは、想像以上に大変なことだった。いってみれば、父の一生分の思い出が詰まった品々である。信じられないほど膨大な荷物を前に、何を残して何を捨てるか、作業をしながら、時々気が遠くなりそうになったが、心を鬼にして、捨てられるものは処分していった。
 衣類は、サイズの合う親戚に。本はブックオフに。古いビデオは、思い切って全部捨てた。写真は、いるものだけより分け、残した。食器、書類、手紙、調度品、電化製品、エトセトラ、エトセトラ。大部分のものを整理し、最後に残ったのが、ダイニングテーブルだった。そのテーブルは、家具職人をしている私の友人が、作ってくれたものだ。天然木を使った頑丈で重厚な作りのテーブルで、大きな椅子も六脚つけてくれた。使い込むほど味が出て、来客の評判もよかった。お正月など家族が集まった時は、その大きなテーブルを囲み、皆で亡き母の手料理を食べた思い出も残っている。
 このテーブルを手放すわけにはいかない……。私は悩んだ挙げ句、仕事場を借りる決意をした。今の住居兼仕事場も手狭になり、テーブルはおろか、父の所に置かせてもらっていた私の資料やビデオが入る余裕もない。いっそ新たに部屋を借り、心機一転モリモリ働こうではないか! 近所に部屋を探していたら、ちょうど私の住むマンション内に空室が見つかり、即座に契約した。

 さて、引っ越し当日。仕事もあって荷物の整理が進まず、結局前夜も徹夜状態でヘロヘロの私だったが、引っ越し屋のお兄さんたちの夜逃げのごとく迅速な作業で、あっという間に、新しい部屋に荷物を運ぶ段取りとなった。そして、その時悲劇は起きた。引っ越し先の部屋の玄関の前で、お兄さんは言ったのだ。「あ。このテーブル、入りませんね」私は、その言葉を聞いた時、卒倒しそうになった。「こここ、このテーブルのために、私は部屋まで借りたのに……」。頭の中は真っ白になり、全身の力が抜けた。それでも最後の力を振り絞り、どうにかしてテーブルを入れられないか、試みたのだがダメなものはダメ。「数日間預かってもらえませんか。その間に引き取り手を探しますから」と言ったら、引っ越しシーズンで倉庫は満杯だという。せめてこのテーブルを廃棄するのだけは、避けてほしいと懇願すると、お兄さんは言った。「僕も仕事柄、たくさんの家具を見ているので、このテーブルがいいものだということはわかります。……わかりました。うちの事務所で使いましょう!」なんだか腑に落ちない気もしたが、心身ともに疲れ、もういいやという気分になって、「それでは、皆さんで使ってください。決して捨てないでね」と、大事なテーブルとサヨナラしたのだった。が、その前にハタと気づき、椅子を二脚だけ残してもらった。
 それでもなんだか諦めきれず、その夜、悶々と、手放したテーブルのことを考えていた時、電話が鳴った。(次号に続く)

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