Dr.コトー診療所のモデルとなった外科医、鹿児島県甑島・手打診療所の瀬戸上健二郎先生がこんなエッセイを書かれています。

「レジェンドになったDr.コトー」

ぜひ、読んでみてください。

レジェンドになったDr.コトー(2015年10月)

レジェンドになったDr.コトー その1         手打診療所 瀬戸上健二郎

8月1日、鹿児島市民文化ホールで行われた吉俣良コンサートに参加した。あふれんばかりの観客でざわついていたホールが、明かりが消えると水を打ったように静かになる。次の瞬間、大きなスクリーンに映し出されたDr.コトー診療所の映像とそのテーマ音楽の演奏で幕が開く。吉俣良コンサートの始まりだ。その瞬間、島の情景が浮かび、熱いものがこみあげてくる。多くの患者さんたちの顔が、その時々の手術の場面とともに浮かんでは消える。赴任早々、まるで外科医の到着を待っていたかのように立て続けに起きた骨盤骨折と内臓破裂。台風の深夜、停電の中で手術した大出血の流産患者さん。腹部大動脈瘤の手術は友人に応援をもらったが、島の診療所では考えられないような大手術だった。
音楽と映像が一体となって、心をゆすぶられる。何という感動だろう。私はこの瞬間、Dr.コトーはレジェンドになったと思った。もう誰も超えることはできないレジェンドだと。
たかが漫画。そう、漫画の企画が持ち上がった時、たかが漫画と言ったのは自分だった。離島医療をテーマに、青少年に夢と希望をという目的や良しとしても、そんな安っぽいもので自分がやってきた離島医療を表現してもらいたくはなかった。すると、言われたものだ。あなたは漫画を知らない。毎月80万部が売れている。しかも、それを読む人は一部一人とは限らない。それこそ何百万人もの人が読んでいる。今はまさに漫画時代なのだ、と。今になって、言われたとおりだったと思う。しかし、あの時はたかが漫画だった。
その漫画がレジェンドになったのだ。主役の一人はもちろん漫画家の山田さんだ。恐るべき酒豪であるが、それ以上に恐るべきはいくら飲んでも乱れない彼の頭だ。一度見たものは映像と言葉が一緒になって頭に焼き付けられるのだろう、それが漫画となって表出される場面を何度も経験してきた。もちろん、漫画に温かい生きた人間の感情を吹き込み、日本中の人たちを感動させたTVドラマの脚本家吉田紀子さんと、音楽を担当した吉俣良さんの役割も大きく、誰か一人が欠けても成り立たない。
しかし、本当の主役は島の住民と患者さんたちだろう。離島の小さな診療所とそこで働くものたちを信じて、大動脈瘤の手術から食道がんや肺がんの手術までさせてくれた島の患者さんたち。Dr.コトー診療所の底に流れる最大のテーマは、医師と地域住民の美しい信頼関係で、それは1970年代から1990年代の島の人々の最後の輝きであったのかも知れないが、この二度と再現できない時代とその時代に生きた島の人たちの心こそレジェンドなのだと思った。

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