月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第32回

今年の語録ナンバーワン②

 前号で、わが家の隣に新築移転してきた小学校の音とプライバシーの問題を区の教育委員会に交渉していることを書いた。教育委員会のメンバーは三人。それに小学校の校長、副校長が入って我々の意見を聞くという会が、これまでに数回開かれた。

 脚本家的に見ると、この五人は、絶妙のキャスティングである。一人は、二十代の真面目で線が細そうなメガネくん。彼は、いたって機械的に「あ。それはできません」「ムリです」を繰り返す。もう一人は、四十代のでっぷりとした強面《こわもて》。彼は地上げ屋ばりのいかつい風貌で、我々が何か言うと「そこは、がまんしてもらわなきゃ。こっちだって一生懸命やってるんですから」とすごむ(教育委員会という組織にまさかすごんだり睨んだりする人物がいるとは思わず、これには度肝を抜かれた)。
彼の言い方があまりに横柄なので、こちらがカッとなると、そこにすかさず、三人目の優しい顔の課長が、「申し訳ありません。そこはこちらも努力しているのですが、なかなか難しいところで……」と懐柔してくるのである。そこに、聞いているのかいないのか他人事《ひとごと》のような顔で座っている校長(時々、眠っていた!)と、「困りました」「ごめんなさい」を繰り返す人のよさそうな女性副校長(教育現場で日々奮闘する彼女は、先生方や生徒と我々の間に挟まれ、本当に困惑しているのだと思う)という配置だ。
 これが自分の書いているドラマであれば、客観的に面白がれるのだが、現実に自分の生活を脅《おびや》かすこととなれば、そうもいってはいられない。しかし、子どもたちに、大きな声を出すなとか、はしゃぐなというのは酷な話である。そこで、マンションと学校間への高木の植樹、マンションの窓に防音サッシ設置、そして、土日の校庭開放の削減というハード面での提案をしてきた。が、すべてに関して前述のような対応なのである。校庭開放を減らすことに関して、〝地上げ屋〟はこう言った。「この地域の公園は、痴漢や変質者が多くて、安全に遊べる場所がないのです。だから皆さん、校庭開放を心から楽しみにしているんです。住民の皆さんは税金を払ってるんですよ!」と。
 彼は、我々も税金を払っていることを忘れているのだろうか。私たちには、月に一度の静けさを求める権利もないのか。それに、行政は校庭開放以前に、痴漢や変質者を取り締まり、安全に遊べる公園を増やすべきなんじゃないのか?

 ある日、のれんに腕押しの会合のあと、新校舎を見学させてもらうことがあった。その時、階下の奥さんに私が何気なく、「そういえば、新校舎移転の日、ニワトリ(学校で飼育している)がずっと鳴いてましたねえ。やっぱり、鳥も新しい場所へ越してきたことがわかったのかしら」と話した。私は、別にそれがうるさいという意味で言ったわけではない。が、私の言葉を小耳に挟んだ教育委員会の一人は、すかさずこう言った。「ご心配なく。生きているものは、やがて死にますから」
 さて、私たちは、こんな不毛なやりとりを続けても時間の無駄という結論に達し、その後、文書で区長・教育委員会・環境課へ質問状を送った。その結果、多少の改善は見られそうなのだが、交渉はまだまだ続きそうである。ものを訴えるのは本当に大変!




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