月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第31回

今年の語録ナンバーワン①


 七月下旬より、軽井沢の仕事場に避難してきている。今年は避暑というより、避難という言葉がふさわしい。なぜなら、この春、私の住むマンションのすぐ横に、区立小学校が移転して来てしまったからだ。「子どもの声がうるさい」などというと、人非人のように思われそうで、躊躇していたが、勇気を出して書いてしまおう。なにしろ、平日は休み時間ごとに、三階のうちの窓のすぐ下の校庭で、百人単位の子どもたちが、野放し状態で遊び、放課後や土日は、サッカーや野球チームの練習、そのうえ幼児(とその付き添い)やお年寄りにも開放しているのだ。

 わが家の周りは、閑静な住宅街である。その真ん中に小学校が建ち、年がら年中校庭を使っている。しかも、小学校には塀がない(!)ので、音は筒抜け。さらに、七月から屋上のプール使用も始まった。「環境にやさしいバリアフリーのエコスクール」というのが、小学校のキャッチフレーズである。確かに校舎は天然素材を使った素敵な建物だし、グラウンドには青々とした天然芝が広がっている。子どもたちが、芝生で走り回りたいのも無理はない。つまり、学校側からだけみれば、すばらしい環境なのだが、そのコンセプトの中に近隣への配慮が全くなされていないところに問題があるのだ。これはどうしたものかと悩んでいたら、ある日、階下のご主人が、遠慮がちにうちのドアを叩いた。
 階下のご夫婦は、芸術家で二人とも自宅で創作活動をしており、わが家以上に騒音に頭を悩ませていたのだ。ご主人は小学校が建つ前から、これらの事態を予想し、区の教育委員会にさまざまな提案をしてきたが、そのほとんどは受け入れられていないという。そこでわが家に、協力を求めてきたというわけだ。

 その日から、階下のご夫婦の教育委員会との交渉に、私と夫も加わることになった。小学校の敷地とわがマンションの境目に塀がないと先に書いたが、なぜないのか、とても不思議だった。塀があれば、音も遮断されるし、プライバシーも守られるはずだ。
 なんせ二階のお宅では、ジャングルジムで遊ぶ子どもと、家の中で目が合ってしまうほどの隣接度なのだ。教育委員会にそのことをたずねると、「それは、バリアフリーだからです」と、平然とおっしゃる。「それに、防犯の面でも塀がない方がいいという方がたくさんいらっしゃるんです」。百歩譲って、塀がないのはよしとしよう。しかし、建設前の説明会で、マンションと学校との境目にはグリーンゾーンを設け、高木(・・)を植えます、と明言していたはずだ。グリーンゾーンと聞けば、緑に茂った大きな木が植えられているのを想像するのが人情というもの。しかし、ふたを開けてみると、ひょろひょろとした二メートルにも満たない細い木が、スカスカに植えられているだけ。それを問いただすと、敵はキッパリとこう言った。「これらの木は、やがて高木になる木です」。これには、怒りを通り越し、今年の私的語録ナンバーワンになってしまった。「やがて高木になる? いったいいつ?」「そうですね。七年後くらいでしょうか」

 教育委員会の方々には気の毒だが、私は脚本家のさがで、台詞には敏感である。数カ月の交渉の中で、彼らの印象に残る詭弁は、ことごとくインプットされた。教育委員会の迷言集はまだまだ続くのであった。(続く)



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