月刊日本語(現 日本語教育ジャーナル)にて2007年4月号~2010年6月号まで連載

ことばのココロ 第15回

Dr.コトー感謝祭



 私が脚本を担当したドラマ『Dr.コトー診療所』(山田貴敏氏原作)には、実際にモデルの先生がいるのをご存じだろうか。鹿児島県薩摩半島の西、東シナ海に浮かぶ甑島(こしきじま)。その島の診療所で、長きにわたり医療を支えてきた瀬戸上(せとうえ)健二郎先生だ。島に赴任する以前は、鹿児島の大病院に勤務し、外科医長まで務めた方である。
 ドラマの主人公のコトー先生と同じく手術は得意中の得意。ガン手術の中でも、最も困難といわれる食道ガンのオペもこなす腕の持ち主だ。三七歳の時、開業の準備のため病院を辞め、半年間の約束で甑島に来たつもりが、気付いたら三〇年がたっていたという。甑島は竜宮伝説の島。「まるで浦島太郎だよ」と、先生は笑う。

 最初はろくな医療器具もない古びた診療所で、二人の看護師さんと、事務長さんの力を借り、オペを行ったそうだ。それが、先生と島民の努力で、今では島の診療所にはベッド一九床の入院設備が整い、レントゲンはもちろんのこと、胃カメラ、CT、エコー、人工透析器まで完備され、離島医療の理想モデルとして、注目されている。瀬戸上先生は今年、役場の職員としての任期を終え、定年となった。その島を挙げての感謝祭が先日行われ、私も参加させていただいた。実際には、定年は三年間延長になり、「退官祝い」だったその会は、急きょ「感謝祭」と名を変えることになったのだが、いずれにしろ先生は、定年後も島に残り、医療活動を続ける決意をされたという。

 先生が定年になり、島を去ってしまうことが、いちばん心配だったのは、島のお年寄りたちだったであろう。「これまで三〇年間、島の人たちにお世話になったからねえ。これからは〝島への恩返し〟のつもりでここに残ろうと思ってね」。先生はサラリとおっしゃる。「それに、島で生まれたうちの子どもたちが、お父さんたちが島からいなくなったら、帰る場所がなくなるって言うんだよ。僕たち夫婦にとっては初めての土地でも、子どもたちには、ここが〝ふるさと〟なんだなあ」
その三人のお子さんはいずれも医学を志し、上の二人は現役ドクター、末のお嬢さんは医学部の学生である。いずれ島に帰り、お父さんのあとを継ぐことになるのだろうか。

 「感謝祭」は、日曜の晩、島の小学校の体育館で行われた。人口二八〇〇人の島のなんと四〇〇人が体育館に集った。ドラマの音楽を担当した吉俣良さんや、瀬戸上先生のドキュメンタリーの主題歌を歌った熊木杏里さんのコンサート。原作の漫画家、山田さんの瀬戸上先生の似顔絵プレゼント。私も先生へメッセージを送らせていただいた。
 それらすべて、島の人たちが一年前からコツコツと準備してきたものだ。心のこもった、本当に温かい会だった。「感謝祭」終了後、スタッフや関係者の酒宴は深夜まで続いた。一年にビール三本でお酒は足りるという先生が、その日は、若い代わりのドクターがいたこともあり、珍しく焼酎を飲まれていた。
いつも厳しい顔の印象の先生に笑顔が絶えなかった。

 私が初めて島を訪れたのは、二〇〇二年の秋。以来、新シリーズのたび、診療所を訪ね、先生にたくさんの話をうかがった。瀬戸上先生の言葉は、さりげなく、短く、深い。そしてその足には、島の名人が作ったわらぞうりが履かれている。



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